トラブゾンからアールというドゥーバヤジットの手前の町に行く道は、夜行だったので暗くて外の景色も見えなかったけれど、バスは斜めの山道を猛スピードで進んでいる感じだった。夜明け頃、アールについてバスを降りた途端、「ドゥーバヤジット!ドゥーバヤジット!」と叫んでいる人が居て、その人が発車間際のバスに乗せてくれた。まだトルコのバスに慣れていなかったので、値段交渉せずに乗っちゃったからボラレルかも…と後悔していたけれど、ドキドキしながら、車掌の男の子に黙って10リラ札を出すと、黙って5リラ返してくれたので、ほっとした。今までのバスの中では、トルコの大衆音楽らしきポップスが流れていたけれど、ドゥーバヤジット行きのバスの中では、サズ(弦楽器)の音が渋い民族音楽調の音楽が流れていて、辺境まで来ちゃった感じがイイなあと少し感動した。窓の外の景色も初めて見た光景だった。モンゴルの映像の様な広い大地には特に背丈の高い草や木が生えておらず、河川は、堤防もなく、地表を思うが侭流れている。殺伐とした平地の向こうの山脈には雪がたくさん残っており、早朝だからか、霧なのか雲なのかわからない白い水蒸気のふわふわの塊が、地から天目指して、ゆっくり駆け上がろうとしており、その下を放牧された羊達の群れが小さく動いていた。そんな光景の中で、すこし物悲しいようなサズの旋律が効いた渋めの音楽を聴きながら、私ってどんなライブより贅沢なシチュエーションで民族音楽を聴いてしまっているに違いないと独りで感激して幸せだった。
富士山に似た形のアララト山の麓の町、ドゥーバヤジットのオトガル(長距離バス乗り場)では、パンをのせたお盆を持った少年が数人、パン買わない?という感じで寄ってきて、なんだかインドみたいな雰囲気もあって、懐かしくて、この国境の近くの町が気に入ってしまった。宿も安くて、相部屋の部屋に5リラで泊まった。結局、他の人は来なかったので、シングル気分だった。少し休んで、イサクパジャという宮殿に行く事にした。宮殿は街の郊外にあり、徒歩片道2時間位かかるそうだ。宿の青年が、牧羊犬が放し飼いされているので、運が悪かったら咬まれるし、オフシーズンで人気がないので危険だからタクシーで行った方がいいと強く勧めるし、私も旅の期間は限られていて嫌な目も遭いたくもなかったので、仕方なく20リラで安全を買って、車で行く事にした。すると、青年が、オフシーズンで客は殆ど来ないし、ずっと宿で店番しているのも飽きたので、嫌じゃなかったら一緒に行ってもいいか?と言ってきたので、英語も話せる子なので、無料でガイドをしてもらうことにした。
町から宮殿への道は、一本道は、相変わらず広い大地の地表の人間の活動の筋の様で、途中はトルコ軍の施設があり、迷彩服の兵隊達や、戦車が駐車されていたりして、日本人である私は、TVのニュースで見た自爆テロ等の暗い中東情勢を連想してしまったけれど、軍の配備は、テロ対策とかではなく、昔から、この町はイランとの国境を守る為に軍隊が配置されているらしい。私は、島国で普通に育ったので、あまり国境というものがピンとこないなぁと思う。此所から向こうは別の国、という風に明確なものがないので、意識できず、とりあえず行くのにパスポートやVISAが必要で、めんどくさいんだなと知識で知っているだけだ。軍の施設に対してカメラを向ける事は厳禁で、見つかると、フィルムカメラの場合、係員と一緒にカメラ屋で強制現像されて、施設が写っているネガは没収され、デジタルカメラの場合、係員の前で、画像を消去させられるそうだ。ドゥーバヤジットの面倒な所は、アララト山の麓に軍の施設があったりして、写真を撮りにくいところだった。町中の路傍にも戦車が駐車していたり、日本とは違う所が面白かったりするのだけれど。
イサク・パシャ宮殿は、イサク・パシャというクルド人の知事が、1685年から建て始めたもので完成は孫のメフメット・バシャの時代の1784年になった。面積が7600平方メートルあり部屋の数は366もあり、建築様式はセルジュク、オスマン、ペルシャだけでなく、グルジアやアルメニアの様式も折衷したものだそうだ。石に彫られた装飾も、独特の明るい色の石に浮かび上がって綺麗だった。宮殿の北側の崖には、2000年前からあるといわれている城壁が風化して土に還るところだった。宮殿は、アララト山が見えない所に建てられている。その理由として伝わっている話は、昔、宮殿の女の子がアララト山の麓の羊飼いの青年と恋に落ちてしまい、それを知った王様が怒って、アララト山が見えない位置に宮殿を建てた、というものらしい。特に、色彩で装飾されている訳でもなく、石に繊細な模様が刻まれているだけだけれど、かえってそれが美しかった。
トルコの物価は西高東低といわれているように、この町では、3リラあれば、レストランでお腹いっぱい食べられたので、貧乏旅行者である私には滞在しやすい町だったけれど、確実に物価は上がってきているらしい。また、観光客が2年前と比べたら激減しているそうだ。
歩いていると、日本人か?と話して来る太った人がいて、話を聞くと、日本からの短い文章のメールを訳してくれないか?仕事の事で、早く返事を書かないと行けないんだけれど、それが何て書いてあるからわからないから困っている。訳してくれたら、うちの家族の夕食に招待するよ。と言う事だった。うさん臭かったし、あまり寝てなくて疲れていたので断った。後で、知ったのだけれど、彼は、旅行会社の人間で、韓国人と日本人の旅行者の親切につけこんで、そうやって自分の会社に旅行者を連れ込むラシイ。。
宿のクルド人の青年と話して初めて知ったのだけれど、数年前まで、公共の場でクルド語で話すと逮捕されていたし、宮殿の図書館にあったクルドの昔の書物も、いまのトルコ政府により全部焼き捨てられたそうだ。トルコ建国時は多民族が1つの国を作るということだったらしいけれど、実際はトルコ人の為のトルコ政府が成立していて、人口の多い遊牧民のクルド人はいろいろ弾圧された結果、PKKという政党が作られたそうだ。
一般的にドゥーバヤジットから、ワン湖方面に向かう場合、景色も綺麗なワンに行くらしいのだけれど、何故かアフラット墓地を見たくてたまらなかったので、アール経由でタトワンに向かうバスに乗り、タトワンの17km手前の墓地で降ろしてもらう事にした。途中の道は、日本では有り得ないスケールの崖の間を進むような田舎道で、突然雨が降ってきたりと、お天気は悪かった。途中検問があったり、この辺は気楽じゃないなぁと思いつつ、曇った景色を見ていた。トルコ最大の塩湖ワン湖は、ちょっと霧がかった景色の中では、とくに綺麗でもなく、琵琶湖みたいだった。
いつからあるのか判らない墓地アフラットについたのは、夕方3時位で、朝9時にドゥーバヤジットを出たので、6時間もかかったことになる。やはり、ワン経由で行った方が早かったかもしれないと思った。湖岸の道沿いに空き地の様に広がる墓地は、観光客もこないのだろうなという荒涼とした雰囲気で、鴉の群れが飛んでいて、ムード満点だった。墓石には、アラビヤ文字のような文字が書かれていて、なんとなくエキゾチックな雰囲気を醸し出していた。広い墓地は、区画整理もされていないので、いろんな所に墓石がぽつぽつと建っているので、ふらふらとカラスの視線を浴びつつ墓石を見て回った。墓石の向きは一定で、アララット山を向いているのか、方向がわからないけれど、メッカを向いているのか、よくわからなかった。
たまたまアフラット墓地で出会った人がタトワン方面に行くので、乗せて行ってもらった。さすがに、独り旅だし、女子なので、彼氏がタトワンのホテルに居ることしにて、行った事はないタトワンだけれど、知っているフリをして、無事タトワンで降ろしてもらった。街は、冬の工業地帯の街の様な雰囲気だった。なんとなく嫌になって、夕方だったけれど、ディアルバクル行きのバスに飛び乗ってしまった。バスは、Bitlis、 Baykan、 Siirt、 Batmanを経由して、深夜にデイアルバクルに到着した。オトガルは大きくて、治安が悪いと有名な市内で宿探しするにしても時間が遅すぎたので、結局、夜明け前のバトマン行きのバスが出るまでオトガルで時間を潰した。
早朝にバトマンに戻り、ドルムシュ(乗り合いワゴン)でハサンケイフに向かった。地球の歩き方に1ページだけ載っている場所だ。最初は行くつもりはなかったけれど、ドゥーバヤジットの宿で読んだ日本人旅行者の情報ノートで、いろんな人が「行って良かった」とオススメしていたので、興味を持った。ロンリープラネットの情報では、現在ダムが建設中のため、2年後に、完成すると、ハサンケイフ辺り一帯は、水の底に沈んでしまうそうだ。よくある「期間限定」とか「今だけ」とか、人間ってそういう言葉に弱いなぁと思いつつ、やはり今しか見れないお勧めの場所に行ってみたかったのだ。
到着したハサンケイフは、ワゴンを降りた途端に好きになってしまった。川が流れていて、12世紀にティグリス河に架けられた橋の残骸の橋げただけが、浅そうな川に3つ程そびえ立っている。川岸の岩は、穴が掘ってあるようで、大きな蟻塚を見ているようだった。何処かで牛がすごく響く声で吠えている。1時間ぐらいあれば、一通り見て回れそうな場所だったけれど、疲れていたので、橋のたもとのホテルに一泊(20リラ)する事にした。川に面した部屋が5つ位しかないホテルが一軒あるだけの町とも呼べない川辺の場所がハサンケイフだ。小さなバルコニーがついていたので、部屋の外で茶色い水の流れる河を「ひょっとしてティグリスって、ティグリス・ユーフラテスの河の事なんだろうか?」と思いつつ見ていた。実際、そのティグリス河だったと数日後にわかったのだけれど、文明を生んだ有名な河とトルコで出会うとは思ってもなかった。
ハサンケイフは、シリア語で「鉄の要塞」という意味だそうで、川岸の崖には、崖と住居が一体になったような場所がある。そこは、城塞跡で、11世紀〜12世紀のアルトゥク朝時代に造られたらしい。崖は、下から見ると、普通の崖にしか見えないのだけれど、かつて人が住んでいた洞窟等を見ながら登って、上から見ると、崖の上に続く道のようなものがあり、木や花が生えていて、なんだかラピュタの空中庭園とそっくりで、嬉しくなってしまった。崖の上からは、橋げたは小さく見えて、はるか遠くに雨雲が見えた。トルコの自然は、スケールが大きくて地平線が当たり前の様に見えるので、本当に国土は日本の2倍しかないのかなと思ってしまう。風向きがかわり、雷が遠くで響き始めたので、宿に帰ると、どしゃぶりの雨が夕方まで降り、そのあと、川辺に降りたら、真近にやってきている観光シーズンに向けて、京都のように川床の席を作っている最中だった。洞窟を利用したレストランは、キリム等トルコらしい布が壁に飾られたりしていて、おしゃれだった。
なんだか甘いものが食べたかったので、ヘーゼルナッツ入りのクッキーを1パック1リラで買って、部屋に戻って、夕焼けのティグリス河を見ながらかじっていたら、ふと、雨期の終わり頃に行ったインドのバラナシを思い出してしまった。
早々にぐっすり寝て、翌朝は、昨日と同じ様な牛や鶏の鳴く声で目が覚めた。なんだか健康で元気に旅行をしているなぁと思いつつ、300km位離れたシャンルウルファに、ドルムシュやバスを乗り継いで、夕方位に着いた。途中の景色は、今までの渋い荒涼さが消えて、なんとなく平和で女性的で繊細な小麦畑が広がる風景にいつのまにか代わっていた。