ボスフォラス海峡を挟んでヨーロッパとアジアに分けられる街、イスタンブールに一日半位居た。ドバイ経由で夜に到着したので、ちょっとドキドキしながらメトロとトラムに乗ったのだけれど、危険そうな空気もなく、難なく安宿まで着いてしまい、交通の便の良さに拍子抜けてしまった。イスタンブールは、ヨーロッパ側の観光地エリアしか見ていないけれど、坂が多くて、人も多く、時間の流れがせわしない都会の空気で、疲れが出てしまい、安宿で日本のマンガを読んでだらだらしてしまった。イスタンブールで有名な日本人安宿は、パキスタンから来たヒト、 シリアから来たヒト、 アフリカから来たヒトと、 いろんな国から来た日本人の長期旅行者がいて、 それぞれが、また、いろんな国に行く計画を立てていて、 4階のダイニングは、風のない処を煙が漂っているような、 もはや私のものではないメロウな懐かしい空気で充満していて、 なんだか気力を吸い取られるようだった。自由に彷徨うバックパッカーの得る経験と、代償として失う経験、帰国後の不安、その狭間の心境を思い出してしまった。
翌日、ハレムというアジア側にある長距離バス乗り場を午後2時発、というバスに乗る為に、1時位のフェリーに乗って、ハレムに行こうと、予定を立てて、ヨーロッパ側の港でひなたぼっこしながら、一時まで、だらだらカモメを眺めて過ごして、私の予定通りフェリーにのって暫くしたら、いきなり海上に高さ10m位の霧というか雲の帯がでてきて、フェリーは立ち往生してしまった。そして、 どこからかアザーン(お祈り)が聴こえて来たと同時に、進路180°転換して、元の港に戻ってしまった。
1時半位だったので、45リラのバスを「諦める」か 相当高いに違いないタクシーで「行ってみる」か一瞬迷ったけれど、イスタンブールに居たくはなかったし、諦めても一日暇なので、努力をすることにして、タクシーを捕まえようとする人々に混じってタクシーを捕まえたら、他の人も乗ってきたので、ワリカンできる☆と、ほっとした。
陸路は突然の霧のひんやりした冷気が、奇妙に風に乗って来る新市街を通って、ボスフォラス大橋を渡ってアジア側に至る道で、橋から海峡を見たら、太陽は照っているのに、海の上だけ白い帯が居座ってて海面の風景を切り取られた変な写真みたいだった。
タクシーは、40リラかかったらしく、4人で割勘して、一人10リラ払った。フェリーなら1.3リラなのに。。と、悔しく思いつつ、2時10分位にバス乗り場についたら、バスが遅れていて、間に合ったので、良かったけれど、人生はヤハリ予想もしていない出来事が起こるモノなのねと 思った。
セルチュクで、バスに乗る直前に、バスチケットブース(3社あるけれど、向かって一番左側)の職員に、「このバスは、実はブルサのオトガルには行かないんだよ。近くの幹線で降ろされるから、そこから彼(同じくブルサのオトガルに行く人がたまたま居た)と一緒にオトガルに行ってくれ。」と、言われた通り、夜明け前に、私は、言葉も通じないおじさんと一緒に、高速道路の様な所でいきなり降ろされ、まだ暗くて交通量の少ない幹線を横断してオトガルを目指して、ロードムービーのうだつのあがらない主人公の如く、1km位歩くはめになってしまった。
そんな苦労をしてたどり着いたオトガルは、24h openの巨大なバス乗り場で、夜明け前にもかかわらず、お土産物屋さんは営業しており、カフェも開いていた。ブルサは、マロングラッセ等のお菓子が有名らしく、土産物やさんには沢山のお菓子が売っていて、お菓子の街かしら?とちょっと楽しくなった。 街を歩くヒト達もおしゃれで、都会な空気だった。
夜明け頃の始発バスで、街の中心部に行き、ホテルのおじいちゃんを叩き起こし、6時前にチェックインして、お昼まで寝てから、街をふらふらしてみた。イスケンデルケバブというラム肉料理が有名だそうなので、それを食べて、ウルジャーミーというアラブ文字のカリグラフィーが素晴らしいモスクをみた。ブルサも都会だけれど、イスタンブールより少しのんびりしていて、食堂が多いからか、料理が安い印象だった。
ブルサは、「イスケンデルケバブ」というラム肉にヨーグルトをかけた料理が有名だそうで、イスケンデルケバブの有名店に行ったけれど、お昼時の忙しい時間だったため、調理後の熱々ソースをかけ忘れられてしまった。淡白なヨーグルトが肉の濃さを包んでまろやかで美味しかったけれど、たまたま私が完食後に、相席になったトルコ人のお皿にはソースが注がれたのを見てしまい、気付いてショックだった。
街を歩いていたら、文化センターらしき建物があり、一階のギャラリーで写真展をしていたので、覗いてみた。私も、興味を持っているインド、チベット、マダガスカル、カッパドキアで撮られた写真達が飾られていた。いつかチベットとマダガスカルは行きたいなと思う。奥の劇場では、子供達が舞台のリハーサルらしきことをしていた。数日後はこどもの日だったそうなので、その日のイベントの練習らしい。
試食をしたお菓子屋さんのチョコレートが甘すぎず美味しかったので、思わずそこで小さなケーキを2つ買って(二つで5リラしたけれど,,)、チキンサンドウィッチや水を買って、ホテルに戻った。ホテルでは、たまたまアンカラに留学中の大阪の女の子と出会って、長期滞在者の視点で見たトルコの話とかできて楽しかった。
翌日は、両替がてら、バザールをみたり、屋台で試聴して気に入ったMercan Dede等CD3枚(正規品で1枚10リラ)を買って、イズニックに向かった。
イスタンブールから2時間くらいの場所にある湖畔の町イズニックは、タイルで有名な町だ。のんびりしたかったのでイズニックで2泊して出国日にイスタンブールに戻る事にした。ブルサからイズニックに至る道は、オリーブやいろんな果樹園の間を進む海辺の田舎道で、天気も良くて、綺麗だった。
イズニックは、オスマン朝時代に、タイル生産地として栄え、ローマ、ビザンツ時代からの城壁に守られた湖畔の小さなのんびりとした町だ。湖でぼーっとしたり、初めてTV付きのシングル(20リラ)に泊まったので、トルコのTV番組をぼーっとみたり、タイルの工房に見学に行ったり、ゆったり過ごした。
緑がかったような青色の湖面が、暖かい日光をキラキラと照り返していた。イズニックの中心部は、本当に小さい町だけれど、いたるところに、レトロでかわいい「床屋(ひげ剃り屋?)」があって、男のサロンと化していた。
イズニック自体、色彩がサーモンピンクや薄い黄色や落ち着いた水色の建物が多くて、レトロポップな印象なのだけれど、床屋は、そんな世界観をぎゅっと詰め込んだような内装だったので、写真を撮りたかったのだけれど、男の園に、なんだか気後れしてしまい、写真を撮れなかったので、残念だった。
イスタンブールへの高速フェリーが出るヤロワへは、車で1時間。
高速フェリー内では、初めて、セーラ服を着た女性の船内売り子さんが働いていたのを見た。